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第31回

ひとSTORY

えとぴりかさん(シンガーソングライター)

えとぴりかさん(シンガーソングライター) えとぴりかさん(シンガーソングライター)

2015年12月、福岡のテレビCM「新型プリウス」楽曲提供及び出演。2017年6月ヤフオクドームに於ける「セ・パ交流戦」での国歌斉唱など、福岡を拠点に活躍中。実名・年齢不詳のシンガーソングライター”えとぴりか”さんにインタビュー♪

幼い頃の話

朝倉市出身。周りに「面白い」と言われ続け、他人との違いに戸惑いを感じ、「皆の中に入ること」に、神経を使う子供時代。文房具でさえ、「あえて友達と同じ物を選ぶ」よう心がけていた。それは本来の自分の感覚を不明確にし、やりたいことがやれなかった原因だった気がする。声が低いのも嫌いで、コンプレックスの塊。おまけに母も個性的。ただ母が教えてくれたことは今では真実=本物だと思える。例えばインスタントコーヒーではなく、豆から挽く。ランドセルはピカピカではなく本革を選ぶとか。そして、重要なのは19歳で音楽を演奏しだし、ストレスを発散させられるようになったこと。思えば、日課のようにお風呂で歌うのも、小さい自分にとっての習慣だった。お風呂では母が歌っていた昭和歌謡や、大好きな奥田民生などをよく歌った。幼少期は、他人に理解されないことも多く、親に八つ当たりもしたが、音楽活動を始めてからはそれも無くなった。小さい頃から唯一の逃げ道だった妄想は、今では曲を作る上で大いに役立っている。

ミュージシャン”えとぴりか”誕生!

地元の高校を卒業し、福岡市内の短大に進学。時代は就職氷河期。「大人にならなくてはいけない」プレッシャーを感じ、葛藤する毎日。色んなタイミングもあり、「音楽」をやってみようと思いつく。理由の1つは祖父から妹にプレゼントされたオブジェ用のギターが家にあったこと。「使った方が良いじゃん。」と勝手に独学で練習し始めた。2つ目はテレビで芸人が作詞作曲して歌っている様子を見たこと。「私も出来そう!やってみたい。」ギターで曲を作り始めた。そうやって人前で歌い始めたのは22歳から。「音楽」をすることで否定されるのが分かっていたので言わないようにしていた。理解してくれると思ってた友達からも『地に足をつけたことをした方がいいよ』とよく言われたが、楽器店の人から促され、YAMAHA主催のコンテストにオリジナル曲で応募し、九州大会まで進む。これは、「音楽をちゃんとやってみよう」という自信にも繋がった。参考までに”えとぴりか”と言うミュージシャン名は中学時代からのあだ名。聞き間違える程、本名と似ている。

社会人そして本格的活動

OL生活は4年経験。これも馴染めず、「自分は社会の歯車には向かないタイプ。音楽と調和しないと自分ではいられない。」音楽をやる理由は常にそこにあった。しかし、ある時スランプに陥る。毎月、毎回、同じ会場だと自己満足の域を越えられない。自信もだんだんと萎み始めた。道場破りのように色んな所へ行けば良いものの、元々の引っ込み思案が邪魔をした。音楽はやり続けたいけれど、「どうなりたいのか?」と迷子になってしまった。もがきにもがいて、音楽はもう辞めようかと思った時、知り合いからあるオーディションについて教えてもらう。それがトヨタカローラ福岡×FM福岡のKEY10Music-ドライビング」ミュージックCDオーディション。みごと10組に選ばれ、テレビCMの出演まで果たし、2016年アルバムCD「アイデンティティ見聞録」を制作、発売。それからが一番充実した日々。

夢周辺の話

まずは憧れの大御所ミュージシャン細野晴臣さん、奥田民生さんと音楽の話をしたり、共演出来たら嬉しい。可能なら、今の音楽業界を昔みたいに音楽番組が多い時代へ。昭和歌謡を聴いて育ってきて、昔の歌の方が覚えやすいし、歌いやすいし、曲のクオリティも高いと思う。「作詞家、作曲家を分けた方が良い。」という作詞家の松本隆(元はっぴいえんど)さんの持論に共感していて、一人より二人の方がディスカッションしながらやっていけて、共有もあるし、チームワークも手伝って、何倍も良い物が出来る気がする。自分たちは、音楽の卵だから、「これを聴いた方が良い」と色んな音楽を教えてくれる人が近くにいるかが大事だと思う。幸いなことに自分にはそういうプロデューサーや音楽の先輩がいてくれる。そういう良い環境の良い場所があるからこそチームワークがとても良い。私もチームワークを大切することを学び、音楽で良いチームワーク作っていくことを目指していきたい。そして時代にあったもの。今また昭和歌謡が平成生まれの間で流行っている事実もある。そういう傾向があるというのは新しい世代も「その音を欲している」と言えると思う。作詞家の故阿久悠さんを尊敬しているが、彼の著書の中で「常に時代を見ていた」=「ちゃんと考えて作っていた」ことが伝わってきた。そこは自分も真似したい。おそらく、そこが多くの人がハッとさせられる曲を作られた理由だと思う。川村元気さん(「電車男」「君の名は。」他多数の映画プロデューサー)も気になっている1人。彼にも「時代の先読みをする」という共通点がある。「そうしないと今は売れない。」とも。自分も「人がやってないことをやって、先読みして、今も知る」そう考えながら、音楽をやっているところ。また、自分との戦いが多く、この2~3年は時間つくることが大変だった。するべきことに手をつけることができなかった。理由は蚤の心臓で、行動するのが苦手だから。でも、行動しないと進まない。やっていかなきゃと思い、この時期に自分との葛藤を一個ずつクリアしてきて、やっと最近何も考えずに行動できるようになった。自分との戦いを越える作業はすごく苦しかったが、お陰で色んな事がやりやすくなり、自分の時間を作れたことが収穫だと思う。今後何かが起きたとしてもこの経験は宝になると感じた。

音楽での喜び

短大の時に「もっと地に足をつけた方が良い」と心配してくれた友達も、最近は「ちゃんとやってるよね!」と応援してくれるようになり、自分がやりたいことで自分の好きな人に出会えるのが喜び。本当に辞めなくて良かった。音楽をしていることでこれまでの人生で今が一番心が豊かになったと自覚したのも喜びの1つ。音楽のお陰で、自分の思ったことを素直に言えるようになり、「ジブンらしく」生きている。そして、周りで応援してくれる皆がいることで既に自信ができた。色んな人に会って来て、学んだこともたくさんあったので、人として強くなった気がする。自分が経済的に豊かになったり、成功することが昔は正解と思っていたけれど、今は心の豊かさだと思えるようになった。心の豊かさは、自分で作ることしか出来ないので、視野が広くなったのが自分にとって一番心が豊かになったところかもしれない。心の豊かさが保てるようになったので、楽しく過ごせるようになった気がする。自分で進む道が見つかったので考えて判断をするようになったり、自分に素直になれたのが心の豊かさに繋がった。

これから

様々なことがスタートし、「多くの人からのお陰様」の毎日。現在、弾き語りもやりながら、バンド楽器メインの活動が出来始めた。サポートバンドThe Fathers of Inventionのベーシスト藤原宏二さん(元Small Circle Of Friends)他、年齢差のあるミュージシャンからたくさんの音楽を教えてもらったり、アドバイスがもらえるのも刺激の1つ。人との繋がりで音楽をやれていることに本当に感謝。もっと色んな人に自分の音楽を聴いてもらいたいので、真面目に音楽をやっていこうと思っている。自分は音楽の基礎をきちんとやってきていないが、最近は勉強の成果でアレンジにも力を注げるようになってきた。皆がいるから出来ている。人前に出るのは今でも苦手だけれど、自分から行動を起こしていかないと何も生まれない。お世話になった皆さんに恩返しをしたい気持ちが一番あるので。人前に出て、ちゃんと色んな人に聴いてもらえることを必ずやり遂げたい。

終わりに

最初に拝見した映像が金髪スタイルでメイクは強め、マッチョな男性陣の真ん中でギターを持ち、歌う様子。勝手に「あっけらかんとした強い女性」をイメージしていたが、目の前の彼女は全く違う存在だった。まだそう長くないこれまでの人生で、繊細過ぎる心の葛藤を、音楽を通してコントロール出来ている清々しい姿を見た。居場所を見つけて喜ぶ澄んだ瞳の仔犬のような、勇敢に戦う騎士のような、何れにせよ、「まっすぐ」な印象が残る、”えとぴりか”さんとの大事な時間でした。

文:MARI OKUSU 2017.12.30 掲載