永隈晋一さん(ロック Vo.&Gt.) Interview[ひとSTORY]| 福岡のライブ情報検索サイト 音ナビ隊♪

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第2回

ひとSTORY

永隈晋一さん(ロック Vo.&Gt.)

永隈晋一さん 永隈晋一さん

元SHOTGUNのギター&ボーカル。TBSドラマ「熱愛一家・LOVE」の主題歌「愛は心のフルコース」('79 ♬ せ、し、する、する、すれ、せよ♬は永隈さんがメインボーカルを務め、5万枚売り上げた記憶に残る曲だ。福岡が日本のリバプールと呼ばれた時代。目撃者であり、当事者でもあった永隈さんに今回はロングインタビューを受けていただいた。

音楽との出会い

友達が野球に興じている時、10歳の少年はTVから流れてくるベンチャーズの テケテケテケテケ〜と言う音に釘付けになっていた。小6の夏休みには板と竹ヒゴ製の手作りギターで、ベンチャーズを真似て弾いた思い出もある。その後伯父からダイナミックギター(※1)を譲り受け、ギタリスト永隈晋一は産声をあげた。(※1:クラシックギターに鉄の弦を張ったもの)

本格始動

市立三宅中(福岡市南区)に入学し同級生とフォークグループを結成。姉の影響でPPMやボブディランを普段は聞いていたが、同級生が希望するはしだのりひこ&シューベルツの「風」などを不本意ながらコピーしていた。中3の時にフォークコンテストに出場。大学生で構成されたフォーシンガーズ(※2)も出場していて、あまりのレベルの差に愕然とする。(※2:後にTULIPを結成した財津和夫さんがメンバーにいた。)

照和デビュー

東福岡高校に進学しグループ名「マリモ」を結成。2年の3学期にたまたま「照和」に立ち寄った所、中学・高校での同級生がオーディションに合格した場面だった。思わず自分たちもオーディション申請をし、翌週に合格。そして他の同級生もまた合格。なんとこの同級生たちは当時珍しく現役高校生ながら「照和」に出演。後にこの内の3人はレコードデビューを果たし、その1人が甲斐よしひろさんだった。「照和」には姫野達也さん(後にTULIP)、千葉和臣さん(後に海援隊)ら東福岡卒の先輩が数人いて、時々巡回してくる生活指導の先生に話をつけてくれたりと大変可愛がってもらった。

福岡から全国区へ

久留米大学に入学し、後に中退。19歳の時のバンド「晋専組」でコンテスト・ライオンフォークビレッジ(会場:日比谷野音)に出場し、作詞賞を受賞。(メンバーには後の甲斐バンドの初期メンバー、ギター大森信和さん、ベース長岡和弘さんがいた。※この頃はバンド間シャッフルとでも言うのか、多くのバンドを経てデビューに至っているケースが多くみられる。)その後「かたつむり」から「シティドッグ」にバンド名を変更。フォークからロックへと形態が変わった。そしてメンバーの脱退から間も無く元SON HOUSEのドラム浦田賢一さんが作ったSHOTGUNへ加入。1年の準備期間を経て24歳でデビュー。CMソング、ドラマタイアップなども果たした3年の活動期間の後脱退。

再び福岡、そしてこれから

福岡へ戻り、ほどなくしてYAMAHA九州支店へ就職。アマチュアミュージシャンの発掘・育成に飛び回る。その後も音楽から離れる事はなく、福岡School of MusicやVictor音楽カレッジ福岡校の講師を経て現在はナレーションスタジオB_STATION代表。ミュージシャンとしてはギターと歌でオリジナルやスタンダードを中心にソロ活動を行い、幅広く数多くのミュージシャンとのセッションも度々実現。モットーは「悔いのないよう」と言い残しインタビューは終了。

終わりに

優しい眼差しに始まり、鋭い切り口、笑顔、たまに辛口と表情豊かに会話する永隈さん。恐らくその表情はギターを始めた頃と変わらないストレートな性格のままではないかと推測される。正義感溢れ、それゆえに不器用な面がある事が永隈さんが周りの人に愛される魅力であるように感じた数時間だった。

文:MARI OKUSU 2013.1.6掲載