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第★回

ひとSTORY

ジョニーさん(HEROES・VO.&G.)

ジョニーさん(HEROES・VO.&G.) ジョニーさん(HEROES・VO.&G.)

20歳の時初めて手にしたのは人からもらったギター。14年後に発表したインディーズCDは各国で愛聴され、ヨーロッパからアナログ盤まで発売される。その後バンド活動から一旦離れるも、かつて海の向こうで聴いてくれた人への恩返しも兼ね、自然体で再び世界を目指す。遅咲きのギタリスト、ジョニーさんに今回はインタビューさせていただいた。

音楽との出会い

ジョニーこと山口裕二は東京生まれ。4歳の頃、両親と離れて福岡で過ごす事になる。15歳は年上の洋楽好きな施設の先生からカセットテープをたくさんもらい、小学校の頃は“ビートルズ”のファン。お陰でチャック・ベリー、カール・パーキンスらを知る事になり“ビートルズ”を通して色んな音楽を学んだ。その後、中学、高校と知識豊富なリスナーとして育ち、同級生が流行りのロックに熱を上げていた頃、施設の先生から教えてもらった“レッド・ツェッぺリン””ローリング・ストーンズ”らを何度も繰り返し聴く日々を過ごす。

楽器との出会い

高校を卒業して、会社員に。一生リスナーとして終えるはずだった20歳のある日、誘われて同僚の実家へ。そこで弦が錆びたエレキギターを「良かったらあげる。」と言われる。「ただでくれるならちょっと弾いてみようか。」そんな軽いノリでもらって帰った。別の同僚に弦の替え方を習い、本でコードを覚え、チャック・ベリー、“ビートルズ”、BBキング、エリック・クラプトン、ブルースなどを弾いてみた。どの曲がどうなってるのかも知りたかったし、弾き出したら面白くなって止まらなくなった。こうしてその日から毎日7~8時間ギターの練習をする日々が始まる。リスナーとして音楽の情報や知識は持っていたので「どんな曲を弾いたら上手くなる」かは他人に尋ねる事はなかったが、チョ―キングの仕方などは教えてもらった。先にブルースやロックンロールを弾き込んで、後からパンクロックへと移行した事は後々武器になったような気がする。チャック・ベリーになりたいと思い、5~6年は毎日家で死ぬほど練習。それまでのリスナー人生が下手な自分を許してくれなかった。

初めてのバンド活動

23歳を過ぎたある日、バンド活動をしている同僚の末松さんから「ギター抜けたから一緒にバンドやろう!」と誘われる。バンド名は“ふるさわ”(メンバーチェンジ後に“スぺシャルムーンドックス”へ変更)メンバーは末松さん(Vo.&Key.)の他、吉田幸弘さん(Vo.&B. ex.The Zigy、緋紋章)、小日向浩一さん(Vo.&Dr. ex.The Zigy、Almond Pie) 、柴田正彦さん(Vo.&G. ex.アクシデンツ)、古澤慈之さん(Vo.&G.)と年齢差一回り以上の錚々たる面々。ついて行くので精一杯。多くの事を学ばせてもらう勉強の場だっただけではなく、諸先輩方を通した人脈は今でも財産となっている。そんな中末松さんがある曲を聴かせてくれた。カッコイイと思ってイントロを聴いていたら、歌が始まると日本語!「このバンド、誰ですか?」「”サンハウス“で”レモンティー“」初めて日本のロックをこの時聴いた。「日本人のロックも聴かないかん。」そう強く思わせてもらった。そしてその後、柴田さんのバンド“しばキョンズ”に加入。

先輩からの影響

28歳で初めて自分がリーダーとして3ピースバンド “トワンギン”を結成。オリジナル曲も作るようになる。上京も意識していた ある日、樋口博さん(G. ex.アクシデンツ)が‘80頃の板東嘉秀さん(G. ex.サンハウス)とのバンド時代の録音を聴かせてくれた。「東京へ行かなくても福岡にこんなにすごいギタリストがいるんだ!!!」こんな風に弾きたいと思うようなギターの演奏を初めて聴いた。少ない音数の中にさえカッコ良さがぎっしり詰まっている男らしいギター。この演奏を聴いて上京しない事を決めた。それから数えきれない程繰り返し坂東さんのカセットテープを聴いたり、ビデオテープを見た。この頃は平尾にあったスタジオ”YABAN“に出入りしていたが、そこで多くのバンドとの交流も始まり、色んなバンドへサポートで入る事も。またここでマサルさん(ex.フルノイズ)と出会った事で人生の考えが大きく変わった。人は格好悪い所は見せたくないのが普通。しかし全て堂々とさらけ出して生きているマサルさんに惹かれた。それは作詞をする上でもかなり影響を受けている。そして上手下手ではなく、人の心へ響いてくる彼の歌声は自分を含めた多くの人に影響を与えているのだと思う。そしてもう1人の大事な出会いは真崎修一さん(Dr. ex.ライカスパイダー)。30歳になって初期パンクのガレージバンド”アリゲーターストンプ“を真崎さんと結成。それまでは”ローリング・ストーンズ”やパブロッ ク等わりとブルース寄りだった自分に、真崎さんはパンクをとことん教えてくれた。”アリゲーターストンプ“は3年間の活動の後、解散。

”TEENAGE CONFIDENTIAL“時代

その後3ピースバンド”PISTOL“結成。それから1年後、親交のあった別のバンドのMICKY・ROMANCEから「こう言うバンドしたいんよね。」と自作の曲を聴かせてもらう。その曲がめちゃくちゃ良かった事もあり、”PISTOL“とMICKEYを統合させた4人編成の”TEENAGE CONFIDENTIAL“を新たに結成。曲も既にあったので、東京のインディーズレーベルからすぐにファーストアルバム”ROCK’N ROLL KISS“を発売。大好評で東京での3カ月ごとのツアー。大阪、名古屋、長野にも行き、あれよあれよと言う間に、良い波が幾つも押し寄せて来た。東京でのライブは200人規模で満席。客席では既に自分達の曲を覚えて歌ってくれている事に驚いた。しかも色んなレコード店で”TEENAGE CONFIDENTIAL“の曲が流れ、憧れながら聴いていた東京のバンドが10組以上もライブ会場にかけつけて来ていた。この人気は国内だけに留まらず、海外でもCDを購入してくれる人が増え続け、ヨーロッパに至ってはアナログ盤でアルバムが発売される程。

また博多の音楽の良さを教えてもらったのはこんなツアーの時。博多から来たバンドと聞いただけでテンションが上がる、博多のめんたいロックを愛する人達に各地で出くわした。「博多弁で何か喋って!」と言われる事も。「博多ってすごいな。」と外に出て気づかされた。めんたいロック(サンハウス、ルースターズ、モッズなど)を一曲演奏してみると、大好評で盛り上がる。「博多」という括りで可愛がってもらえる有難さ。そんなエピソードもあり、博多の先輩方にはとても感謝している。そしてメンバー全員、めんたいロックの良さをあらためて知る機会にもなり、お陰で博多を愛するバンドに育って行った。そして華々しい3年間の活動の中、セカンドアルバム”AFTER SCHOOL RENDEZVOUS“をついに憧れであるマングローブレーベルからリリース。しかし残念ながらその直後に”TEENAGE CONFIDENTIAL“は活動休止を決めた。

ブランク

活動がハードだったその反動か休憩する事に。子育て、バイク、野球などを5年間楽しんだ。バンド活動はしていなかったが、たまには”TEENAGE CONFIDENTIAL“の集まれるメンバーだけで音を出す事も。それに加えてアンプから出る音が気持ちいいと言う理由で週一スタジオで個人練習も地道に続けた。 人生に無駄はない。この休憩中に体力づくりの為に走り始めた事は今は歌う事にも役立っている。また音楽に関してもガムシャラにやっていた頃と比べると、自分を外から客観的に見られるようになってきたのもブランク期間の成果の1つ。

”HEROES“始動!

ドラムKIDのかけ声で再度バンド活動を始める事に。メンバーは”PISTOL“時代の3人に戻った。ベースBABYは現在大分在住。(転勤で久留米、福岡、長崎、そして大分と転々としながらも福岡での練習、ライブをこなす。)そしてなんと今年の2月に初めて対バンで憧れのミュージシャン板東嘉秀さんとステージを共にする。最初に聴いてから16年目の感動の一日。好きなギタリストは?と問われれば、「自分のヒーローは板東嘉秀さん。」と即答する。また今でも山部善次郎さん達の昔の音源を聴く事があるそうだ。「昔に比べて今の方が音楽をする環境は恵まれている。しかし、演っている事や音楽に対する深みがあの年代の先輩方は全然違う。(その演奏の時は)今の自分より年下なのに本当に尊敬する。それでいて(やってるジャンルは違うけれど)諸先輩方には負けないゾ!でもありがとうございます!と思いながらやっている部分もあると思う。そうじゃないと博多にいる意味がない。」と先輩方への恩返しの意味を込めて、良い刺激を受け止め続ける。

これから

メンバーは同じでも”PISTOL“の時の曲は一切演奏しない。ジャンルも昔と違ってオーソドックスなロックンロールだから。もちろん”TEENAGE CONFIDENTIAL“の曲もする事はない。そんなにカッコつけてないけれど、「これからも良い曲いっぱい作れるんじゃない?」とわりと自信はある。今はライブを数やるよりも、良い曲を作る事に時間をかけたい。「良い曲作ったら、どんな演奏しても良い曲なんだと思う。ストーンズみたいに誰がカバーしてもカッコイイ曲を作りたい。」「アナログのEP盤(2曲)を発売する」のが”HEROES“としての次の計画。アナログの方が費用もかかるし、聴ける人も限定される。しかし、その分好きな人しかそこまでして買わないだろうと考える。そして「シングル2枚しか出してないけど良いバンドやね。」と言われるような、そういう価値観で曲を作っている。ただカッコイイ音源を小さい頃から聴いてきているので、それに比べると今の曲はまだまだだから、アナログ盤の発売は当分未定。」との事。また今後の夢を尋ねると「夢と言うか目標は歴史に残るロックな曲を作る事!10曲位でかまわないから。そして、恩返しも兼ねて『今はこんなバンドやっているんだぜ。』と音源と共にかつて海外で聴いてくれた人へも伝えたい。」

終わりに

インタビューが終わってのジョニーさんの印象は「謙虚さと自信の共存。そして良い意味で理想が高い。」リスナー期間が長い事やブランク期間を肯定的に捉え、それを自然体で糧にするジョニーさん。ぜひ福岡発信でグローバルに多くのリスナーを騒がせてもらいたい。

文:MARI OKUSU 2014.8.12掲載

”HEROES“のPV
https://www.youtube.com/watch?v=_pcdI6ZTZT4&feature=youtube_gdata_player