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第15回

ひとSTORY

JIMMYさん (THE SHAKES Ds.)

JIMMYさん (THE SHAKES Ds.) JIMMYさん (THE SHAKES Ds.)

意気揚々と都会を目指した1人のドラマーは23歳で音楽活動を封印した。

時は流れて7年後、忘れたつもりの想いは再燃し、それから走り続けること20年。

もうピリオドはない。

今回は“THE SHAKES”のリーダーでドラマー、JIMMYさんにお話を伺った。

音楽との出会い

JIMMYこと本名竹下洋(よう)は長崎で生を受け、父親の転勤で小学6年生の時に福岡市西新へ引越してくる。当時流行った大きな家具調ステレオが家に届いたのもその頃。その際、母親が3枚のレコードも購入。“グレンミラーオーケストラ “、“カーペンターズ“、“ビートルズ”。もちろん“グレンミラーオーケストラ “も“カーペンターズ“も良かったが、中でも“ビートルズ”には心を奪われた。これがミュージシャン、JIMMYと音楽との出会い。

中学時代

福岡市立高取中学校入学。足が早かったので陸上部へ入部。県大会にも顔を出す俊足だった。ある日、部活の先輩が小脇にLPレコードを抱えて歩いていた。「それ、何ですか?」「知らんと?“キャロル”たい!」すぐに貸してもらい聴いた。「スゲーッ!カッチョイイ!“ビートルズ”と同じ香りがする!」ツッパった不良の香りに魅力を感じ、キャッチ―な曲やルックスとは裏腹に胸キュンな歌詞にもヤラれた。ファッションまで影響を受け、自分にとって“キャロル”はヒーローになり、いつしかバンドもいいなと思い始めていた中学時代だった。

高校生活

私立西南学院高校入学。高校では野球部へ。1年生ながらレギュラーでベンチ入り。当時、新入生の自分がレギュラーになる程度の弱いチーム。夏の高校野球県大会1回戦で17対0の7回コールドゲームで敗退。モチベーションを保つのが難しく、夏が終わった頃に野球部を辞めた。「バンドやろう!バンド!それも派手なロックンロールバンド!!」当初はギターに挑戦しようと同級生にギターを教わるが、習った曲はフォークソングの「襟裳岬」。。。自分が習いたいのは派手なロックンロールのギター。にも拘わらず、フォークソングとは!がっかり!自分の周りには既にギターの腕の良いヤツは山ほどいた。それでもバンドをやりたい気持ちが増した頃、別の同級生から誘いの声がかかる。「ドラム出来る?」「出来る、出来る!」出来もしないのにハッタリかまし練習スタジオへ。「おまえ、下手いねェ!」そんなの当然!初心者だから!それでも見よう見真似で叩いた。それから伸びかけの坊主頭のハイスクールボーイはダチの誘いで初めてライブハウスへ。「今、最もヒップな音楽はPUNKだぜ!」ちょうどパンクバンドが流行り出した頃。違う世界を垣間見た気がした。先輩のバンドはもちろん、他の出演バンドにも「スゲェー!カッチョイイ!プロっぽい!」と感心していると、「彼らは東福岡高校のブラスバンド部よ。」と聞かされる。「ウソォ~?」同じ年でロックバンドとして既にライブハウスへ出演していた。その事実がカルチャーショック! そして未だデビュー前の“ザ・ロッカーズ”や“ザ・モッズ”のパフォーマンスにもヤラれた。この当時通っていたライブハウスは須崎にあった「ダークサイドムーン」。そこはまるで大人の世界。なんか!ヤバい空気感があった。ハイスクールボーイの彼は ドキドキ、ビクビク!“ビートルズ”や“キャロル” からはだんだん遠ざかっていき、パンクの洗礼を受け“セックスピストルズ”や“ニューヨークドールズ”などのカバーバンドをやり始める。“ローリングストーンズ”にもかなり入れ込んだ。“モダンドールズ”の前座として初めてライブハウスへ出演したのもその頃で、デビューしていった先輩達のようにこのままバンドやっていたら、いつしか人生が開けるのではないか!と勝手に思い込む始末。

大学入学そして挫折

西南学院大学入学。「大学なんて高校卒業後働きたくないヤツらが言い訳に集まる場所。」と当時の彼にとっては少なくともそうであった。その大学の軽音楽部に所属してバンドを組もうとしたが、一緒にやる人が1人もいない。まさにONLY THE LONELY。そんな状況に苛立っていた彼は、ある事件により1カ月で除名!?居場所を無くして学校へ行く回数も減った。「そうだ!ライブハウスでバイト!バンドをやるには恰好のバイト先じゃないか!」という理由でライブハウス“80’s ファクトリー“でバイトを始める。その後メンバーも見つかりなんとかバンドをやれるようになった。

大学4年の時の目標は自分達のバンド“マニッシュボーイズ”で東京へ進出しブレイクする事。確かな事など1つも無かったが、気持ちは盛り上がっていた。5人のメンバー中一番に卒業し、フリーターとして他のメンバーを待つ事に。当然のように親には勘当され、家を出て安アパートでのバイト生活。しかし1年後「やっぱり就職する。」と1人抜け、他のバンドからの引き抜きでもう1人抜け、バンドとしても力を無くしかけていた。「そんな状況―友情、団結、裏切り、貧乏、苦労、その全てが成功した暁にはE.YAZAWAのように絵になるし伝説になる!」と自分に言い聞かせていた。がしかし、痩せ我慢は長くは続かない。ある時「俺、何してるんだろう?」といたたまれない気持ちになる。毎日朝から晩まで食っていく為に汗まみれ。「俺は何の為にこんな生活を続けているんだい?」そんな自問自答の結果、バンドは解散に至る。同年代の地元のバンドは既に成功へのパスポートを掴みかけていた頃。気持ちだけが焦った。空回りの毎日。単身上京も考えたが、元々バンド志向。そして何よりドラマーとしての自信の無さがブレーキとなり、「もうやめよう!この情けない生活(家族を始め周囲に多大な迷惑を撒き散らしていた)をリセットしよう!」あれだけ情熱を注いでいた音楽すべてを封印する事を決めた。

就職

その後何とか就職に漕ぎつけ、普通のサラリーマンに。髪型も変わり、結婚もした。風の噂で音楽仲間の事を聞く時もあったが、出来るだけ耳に入れないようにしていた。そんな生活が数年続いた後、当時話題になっていたTBSテレビの「イカすバンド天国」(アマチュアバンドのオーディション番組。通称イカ天)を偶然にも観てしまう。ちょうど後輩のバンドが出場し勝ち抜いていた週だった。なんだかモヤモヤした気分になり、「俺ももうちょっと我慢してバンドやり続けよったら良かった。」そんな都合の良い思いもよぎったが、昔の自分を思い出すのはやめる事にした。

運命の出会い

仕事は営業マン。就職して7年も経ち世間と折り合いをつける事も少しずつだが覚えてきた。ある日、会社を出たものの、喫茶店へ入り煙草を燻らせた。しばらくすると大声でドアを開け、店に入ってきた男がいた。なんと、山善(山部善次郎)だ。「ヤバい!」瞬時にそう感じた!何故「ヤバい!」と感じたのか?それは昔から顔見知りの山善に、音楽を諦め髪型から生き方までサラリーマンになり、ドラムスティックをゴルフクラブに持ちかえた、その時の自分が恥ずかしかったから。それでも勇気を出して声をかけてみた。「山部さん、お久しぶりです!」「オ―、“マニッシュボーイズ”!久しぶりやね。どげんしようとや?」人生を迷走し続けている自分に比べ、数年ぶりに会う山善は全くブレていなかった。こんな自分に対しても昔と変わらない態度で接してくれた山善。それから久しぶりに山善のライブへ行ってみた。「すごいライブやった!前よりもパワーアップしとる!やっぱ、この人はスゴイ!やり続けよう!ローリングし続けよう!さすがやね!カッコイイ!」やり続ける事の素晴らしさをそのステージで見せてくれた。「東京に拠点を置いているわけでもなく、地方都市に居ながら、きっちりアルバムもコンスタントに世に出して、こうやって音楽をやり続けよる!こんな生き方もあるんやね!」1人でその感動を噛みしめながら家に帰った。「もう1回、バンドしよう!」

再びバンド活動開始!

とりあえずカバーバンドでも何でも良かった。同じ会社でメンバーを集め、スタジオで練習。何度もメンバーチェンジを繰り返した。そしていつしか山善バンドでもドラムを叩かせてもらうようになる。山善からは相当鍛えてもらった。他にも声がかかれば別のバンドでも叩かせてもらい、一番多い時は4つバンドを掛け持ち。7年間のブランクをどうにかして埋めたい、早く追いつきたいとがむしゃらに走った時期。

そのうち噂を聞きつけた“マニッシュボーイズ”時代のメンバーから誘いが来る。食べて行く為に仕事を始めたけれど、やっぱり音楽を諦めきれなかった仲間がここにもいた。「仕事しながら、バンドもする。音楽で食ってないけど、そういう道もありじゃないかな。」そう思えるようになった。そして“ワイルド・ウイークエンド”へ加入。数年の活動の後、2005年春に自身の素行の悪さを理由にクビを宣告される。

“THE SHAKES”誕生!そしてこれから。

3カ月後、新しいバンド“THE SHAKES“誕生。さらにその3ヶ月後には“THE SHAKES”での初ライブ!山善の影響で曲も作るようになり、インディーズで「GO CAT GO!」「SHAKE! SHAKE! SHAKE!」他数枚の作品を世に出した。「ん?何をやりたいのかって?ロックンロールとしか言えない。出逢いは“ビートルズ”!それから色々な音楽がある事も、その後ロックンロールの先人達によって教えられた。そう!人生ってヤツはある意味自分探しの旅だ。模索の旅はまだまだ終わりそうにない。LOOKIN’ FOR MYSELF!LIFE IS ROCK’N‘ROLL!」

終わりに

リーゼントをキメたちょっとクールな風貌とは異なり、気さくな人柄。話していると音楽への情熱が伝わってくる。「気持ちさえあれば(他で)働きながらでも諦めずに音楽をやれるって事を証明したいね!」と言いつつ、「でも見せなくても感じるヤツは感じるよね。俺みたいに。」と言うセリフで締めくくられた。インタビュー中「音楽的にも“THE SHAKES”は進化し続けたい!」とも仰っていた。多くの人とその進化を目撃し続けたい。

博多弁通訳:JIMMY &文:MARI OKUSU 2014.7.12掲載